ことばをめぐる



われわれは、よい文章を理解する力だけでなく、へたな文章、読んでも意味がとりにくい文章もきっちりと理解する力をもつ必要があるようです。なぜかというと、世の中には文豪や名エッセーストばかりがいるわけではなく、割合からいえば、しろうとが書いた未熟な文章のほうが圧倒的に多いからです。

確かに世の中には未熟な文章も多い。ネット上には、文章として時間をかけてかかれたもの以外にも、掲示板やメッセンジャーの文もある。本当の理解力というのは、悪文も脳内で適宜補正補足しながら内容を把握できる能力のことだろう。
僕もこれと似たことを、イギリスにいる時に考えた事がある。当時の僕は、1人でも何とかやって行けるようになり、英語に耳も慣れて自信を持ち始めた頃だった。大抵の日常会話は問題なくこなすことができた。そんなある日、黒人に道を聞かれた。何を言っているのか全く解らなかった。喋るスピード早過ぎて、しかも訛りがキツくて聞き取れなかったのだ。ウィル・スミスがペラペラまくしたててる感じ。実際道を聞いていたのかすら疑わしい。

こうして、結局は僕の日記になってしまうのが「九十九式巡回日記」です。