冷静と情熱の間

K社のノート5月11日『[音楽]モーニング娘のよさがわからない』http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040510#p1
に対して

「そんなもののどこがいいの?」というのはする意味もないし、答える必要も全くない質問です。*1ですから、答えずに書きます。ただ、世の中には自分が分からないものを他人が分かっている、信じているというような状況に対して怒る*2人が多い中、「分かりません」と素直に書くid:kokoroshaさんは、誠実な人だな、と思います。

確かに2001年から2002年くらいまでは、過剰付与のゲームとして消費していたテキストサイト*3が多かったように記憶しています。かく言う僕も当初はそういうスタンスだったはずなんですが、かといって「有効」とかそういう観点から入ったかというとそれは別問題です。過剰に読むから面白いんじゃなくて、面白いから(≒好きだから)過剰付与したくなるんじゃないでしょうか。この場合逆はありえません。本来の意味よりも意味付けする行為のほうが面白かったとしても、です。

分かるか分からないかは、その人に拾える周波数の問題でしょうか。それも受信機の感度の良し悪しではなく、単純にそのレンジの問題です。序列付けや階級分けで説明のつく問題でもないと思います。*4

あるいはこれは宗教に対する捉え方と似ているのかもしれません。ある宗教を信奉している人に対して、「どこがいいの?」と訊いても有効な回答は得られないでしょう。神の素晴らしさを信者同士で語り合うのは容易いですが、異教徒に布教するのは困難です。恋愛もまたしかり。

ちなみにこうしたカウンター言及が有効なのは、春と秋、すなわち黎明期と衰退期だと思います。夏に言ってもしょうがないし、冬に言っても遅すぎる。黎明期の代表的な文章は、銀閣寺の2001年3月8日『モーニング娘。を弾く会』です。しかし今さら言うことじゃないのも確かです。今では多分、本当に好きな人(宗教)以外は残っていないんじゃないでしょうか。


 

*1:これは確かid:kowagariさんがログに残らないメモで書いていた言葉ですが。僕は会社でジャニオタの女性に「辻加護のどこがいいの? 説明してごらんなさい」と吹っかけられて困惑したのを覚えています。

*2:乱暴なくくり方をすれば、中東文明に対するブッシュの挑戦もこの図式です

*3:例えば『風』など?

*4:例えば「ビールやサワーなんぞを楽しく飲んでいる人の気が知れません」と主張する人がいたとして、「僕は上質のワインやブランデーが好きですが、中にはサワーとブランデーと両方飲む人がいたりして、混乱します。」と言われても、「そうですね…」と苦笑するしかない。酒に序列をつけてもしょうがないっていうか、いや酒には確かに等級があって序列があって値段に厳然たる差がありますが。例えが失敗。