4日目 (5月14日)

id:crossage

「批評的言語」という用語がまぎらわしいので自分なりに翻訳すると、それは「批評っぽい感じの言葉」ってことです。つまり結局それは「イメージ」ですよね。
使われている言葉から想起される「イメージ」としての批評(っぽさ)と、言葉うんぬんとは別次元に孕まれうる「批評性」とが、そこでは未分化なまま混同されてしまっているのではないかと
批評は何も言葉に限らない、態度や心構えに孕まれる批評性だってあるし、運動に孕まれる批評性もある。それを言葉にする行為だけが批評というわけではない、そう思います。
ココロ社さんに聞きたいのは、なぜそこまで〈凡庸か否か〉にこだわるのかということです。
http://d.hatena.ne.jp/crossage/20040514#1084470346

hentai

ココロ社さんは娘。を<悪い>と思っているのではなく<わからない>だけだ、という一番最初の更新時点で想像しうる前提を元に考えれば、単純に、人間を趣味によってカテゴライズする行為に見えました
娘が<わからない>というより、娘。は<悪い(=批評的問題点がある)>というものになってきたように思います。つまり、娘。やSMAPに批評性がない・凡庸だということまで言うなら、それは、単なる<わからない>という表明だけではとどまらない、批判となってしまうと思います。
この議論に関して一番わたしが問題だと感じたのは、娘。と金井の共存よりも、その背後に隠れていた<嫌い>が<批評>と連関してしまうことに関することでした。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040512#c

id:kokorosha

反応してくれる人は「モーニング娘は凡庸だ。でも、それを含めて好きなんだ」という話が返ってくるのではなかろうかと踏んでいました。それは残念ながら、ぼくの妄想にすぎなかったようですが、「モーニング娘は非凡である」あるいは「凡庸とかそういう

言語でくくることができない存在」という認識の方が近いとするならば、ぼくにとってはやっぱり不思議です
歌詞(『愛あらばIt's Allright』)についてあれやこれや言ったことはごくごく一部の問題なのかもしれませんが、ぼくはその後に入る気になかなかなれませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040514#p1

twisted

ぼくが『I WISH』を凡庸だと断じるのは、その先に『、、、好きだよ』や『恋愛レボリューション21』みたいな、もっと擁護すべきものが後ろに控えている時だけです。
また「凡庸さ」というタームは、実はそうした「凡庸さ」をいかに愛するかという倒錯的かつ困難な批評にのみ奉仕する(略)宙吊りを肯定する快楽に由来するものだと思います。
モーニング娘。とはどこが面白いのか? という疑問符の答えは、ココロ社さんが提起されたその問題の発生条件からすでに決定されてしまっているものではないでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040514#c

id:nomurajizang

これは言っておきたいのですが、ハロプロの歌詞はつんくが考えてるから、それだけ取ったら薄っぺらいに決まってます。
http://d.hatena.ne.jp/nomurajizang/20040514#1084548663

id:jouno

ココロ社さんが娘。が文学的、音楽的にすぐれているかどうか、ということに議論をもっていこうとしているのは、意味がない方向だと思う。全然そんなことは論点じゃないと思う。単に凡庸かどうかを議論したって意味がない。そうじゃなくて、対立する質があるかどうか、が問題で、そして、何を持って、その対立する質だとみなしているか、ということです。
http://d.hatena.ne.jp/jouno/20040513#1084469588