モーニング。金井美恵子、論争ダイジェスト
この1週間で、モーニング娘。と何かについて戦わされた議論を追ってみました。といっても、目に付いた発言の中から、気になった部分を恣意的にピックアップしたのみの乱暴な引用なため、前後のコンテクストや発言の対象、対象との関係などが全く考慮されていないません。なるべくリンク先で全文を読むと間違いがないと思います。
1日目 (5月10日)
id:kokorosha
「モーニング娘の良さがわからない」
金井美恵子とかスティーブ・エリクソンとかが好きでモーニング娘も好きという人の気持ちがわからない。
意味を過剰付与するゲームの一環として捉えられているのでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040510#p1
金井美恵子とモーニング娘。という線で考えると、わたしが二つに共通して感じている好きポイントは「真っ向から勝負しようとしている感じ」だと思います。
あと、(略)きっと「分かりづらさを目指さない」ということなのだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/hentai/20040510#1084207263
モーニング娘。には参加感が強い感じです。
金井美恵子さんとモーニング娘。の共通点は、他の誰かがやっている、誰か他の人が褒めている、権威が褒めている、そういうもので、それに首を突っ込む、ということになるかもしれません。誰かが褒めているもの、権威が褒めているもの、は、金井美恵子さんとモーニング娘。の他にもありますから、意味無いかもしれませんが、あえて内容的な共通点を挙げるとすれば、空気嫁(空気読め)、わびさび、お約束、味わいのある深い魅力、雰囲気、が無い(ように見える)、という点になるのかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/churos/20040511#1084254070
・好きという衝動ありきの過剰付与であり、過剰付与ありきの好きではないです。
・「何が素晴らしくて何が素晴らしくないのか」ということについて自分の好みを排して証明「してみせる」ことが事実上不可能です。
http://d.hatena.ne.jp/farrah/20040512#p2
わたしは「金井美恵子好きー」「モー娘。興味なーい」でしかないですね。但し、その一見関連性のない二つを並列に興味の対象としてサイトなどに表現されている一派はいて、サイトに書く以上それらは自己表現であり自己演出なわけで、それらを見るにつけ「モテたい」ばっか書く人のサイトを見たような、フンニャリした気持ちにはなる。
分かるか分からないかは、その人に拾える周波数の問題でしょうか。単純にそのレンジの問題です
http://d.hatena.ne.jp/type99/20040512#1084296906
2日目 (5月12日)
「好きだから好き」と無根拠を装って宣言するには、モーニング娘は言語化されすぎている
その根拠は金井美恵子とバッティングしないのだろうか?
歌詞が凡庸に思えてならないし、音楽的に面白いところは特に感じないからです。少なくとも歌詞に関して言うと、詩と見なすなら、金井美恵子と同居するのは結構難しいのでは?と思うのです。
金井美恵子のわかりやすさとハロプロのわかりやすさ、ぼくには異なるように見えてしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040512#p3
twisted
なにか金井美恵子を好きだということのステイタスみたいなものを背後に感じさせてしまうというか。ココロ社さんの最初の発言が正直ちょっと人を傷つけかねない差別的なものだったとも言えます。
基本認識として大したことないものに過剰に言葉が付与されている、とココロ社さんが思っている限り、この議論は平行線しかたどらないと思います。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040512#c
・批評的な言葉遣いのテキストが好きだった場合、他のものとの折り合いが難しくなるのでは?と、ぼくは思うのです
・モーニング娘はその凡庸センサーに引っかかるのではないか?
・ものすごくたくさん語られているのに「なぜ好きなの?」と聞いて言葉が出てこないというのは、ちょっと不思議に思います。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040512#p1
id:kokoroshaさんは、モーオタをバカにしてるんじゃなくて、id:churosさんのことが好きだから、自分と違ってほしくない、と思って、過剰に攻撃してるんじゃないかなー。大きな木の下で美少年が「あんな子、好きだなんて、失望したな」って言ってると思ってごらんなさいよ、ホラ、竹宮恵子の絵で。
問題は「差異」であって、その対象は重要ではない。失望する対象は、何でもいい、チワ……ゲンカ……?
http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20040512#p1
・<好き/嫌い>であれば個人嗜好の問題で、特に何もいえない感じですが、批評性をモーニング娘。に認めない、とまで言ってしまうと、それは<嫌い(わからない)>ではなく<批判>を意味することになってしまう
・論ずる≒ビットマップ化することでこぼれおちる部分、が存在すると思っていて、わたしは、辻さんに関して妥協ができないので、辻さんの可能性を限定するようなことは言いたくない
http://d.hatena.ne.jp/hentai/20040512
文系男子がどうのこうのってのは要するに、読んでる本の内容で他社と差異を図ろうとする中学生男子みたいなもんでしょ。
3日目 (5月13日)
まったく好みが違う人間に関して何か言っても不毛だし、お互いにとって不幸なので何も言うことはしません。
批評的言語との折り合いについて」という形で絞っていったら、話が拡散しなくていいかなと思っているので
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040513#p1
わたしは、こういう「何か」、が好きなところ、全然突き詰めていない(言語化を怠っている、「だいすき〜」と言えば何かを言った気になっている)ところ、がけっこうあるのかもしれない
「批評的な言葉遣いのテキスト」が「好き」なら、批評的な言葉遣いのないテキストをどう受容するか、「凡庸センサー」に敏感になったとき、凡庸なものをどう受け取るか、凡庸なものは自分の中でどう受け取られているか、を考えると、この場合、金井美恵子さんのテキストの批評性と、モーニング娘。の批評性、金井美恵子さんの凡庸さ(非凡さ)と、モーニング娘。の凡庸さ(非凡さ)を考えることになるのだと、一応、思われます。
http://d.hatena.ne.jp/churos/20040513#1084437664
・おのおのの差異を無視してあるひとつのイメージで一括りにしてしまう手つきとか、結局、それはスタイルやイメージででしか対象を判断していないのでは
・ココロ社さんの抱く「金井美恵子」なり「蓮実重彦」なり「モーニング娘」なりのイメージに則したかたちでしか、「なぜ共存できるか」についての話を進められないように、あらかじめレールが敷かれてしまっている。
http://d.hatena.ne.jp/crossage/20040513#1084406414
twisted
・(ココロ社さんの)否定性を巧妙に隠蔽しつつそうした意気沮喪を引き起こしそれが「批評的」だとする無意識の態度が「差別的」だと感じたのです。
・金井美恵子が分からなかったとしたら、「金井美恵子の良さが分からない」とは恥ずかしくて決して口にできないですよね? ならばなぜ「モーニング娘。の良さが分からない」と口にできてしまうのか
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040512#c
なんかみんなでココロ社さんが駄目、みたいになってるのは気になるなあ。過剰に反応してるのはむしろ、少しでもモーニング娘に否定的な(否定的でもなんでもないと思うけど)意見が出るのが嫌な、周りにいる頭のおかしい人たちだと思うけど。
http://d.hatena.ne.jp/manga/20040513#p1
どちらかと言えば意味の付与の話題の方に反応しました。反応したのは、モーニング娘。(ひいては、自分の好きな「何か」)が好き、というのは「意味を過剰付与している」のか、ということの周辺事情に対して考えてみたかったからです。
モーニング娘。の言語化」ひいては「言語化」というのにはこれまた興味があります。
http://d.hatena.ne.jp/farrah/20040513#p1
ぼくが「批評性とモーオタが共存することの不思議」について書かなかったのは、ぼくにとって、批評性とモーオタが共存することが、不思議でもなんでもないからです。
ぼくがモーニング娘。の曲を良いと思うのは、蓮實風に言うところの「運動の美しさ」によってであって、その歌詞から意味を抽出する行為にはまったく興味を感じません。
モーニング娘。の批評性は、アイドルというものが持ちえる瞬間の美を継続して生み出す構造にあると思います。
http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20040512#p6
「モーニング娘。は素晴らしい」ことが<証明(?)>、あるいは感受、伝達、されたら、それでこの問題は解消されるのでしょうか?
わたしに必要なのは、あくまでココロ社さんの疑問の方向(あるいは、わたしの疑問の方向)からココロ社さんの疑問を解明する(批判することも含み得る)こと
http://d.hatena.ne.jp/churos/20040513#1084503969
「○○が好きである」ということの理由をその○○という対象に求めるからこそ、話が拗れるのであって、好きであることの理由を対象にではなく自己の中に発見すれば、物事は途端に単純になる。
意見の対立が産み出すものは、際限なき快楽である。何も意見を交換し、相手を懐柔しようなどという目的のもとに行われるものではない。
『××は批評性を持った作品だ』ということ言うのは、それ自体が批評なんじゃないか、と思っており、イメージ・感想のたぐいではないのでは
批評って何? 好きってなんやろ……(チョコよりあまいってほんとなの?)
http://d.hatena.ne.jp/hentai/20040513#p3
たとえば、そういう何かを石原慎太郎や長渕剛やオー・ヘンリーや「課長・島耕作」や柴門ふみなんかにはぼくはたしかに感じる。それはゆるい言い方をすれば通俗性やうっとうしい世間というものへの表現のレベルでの加担みたいなものだ。
その何かが、どういうものか、説明できるのはココロ社さんのほうだし、「わかりにくさ」はココロ社さんのほうにあるとおもう。
http://d.hatena.ne.jp/jouno/20040513#1084388716
4日目 (5月14日)
「批評的言語」という用語がまぎらわしいので自分なりに翻訳すると、それは「批評っぽい感じの言葉」ってことです。つまり結局それは「イメージ」ですよね。
使われている言葉から想起される「イメージ」としての批評(っぽさ)と、言葉うんぬんとは別次元に孕まれうる「批評性」とが、そこでは未分化なまま混同されてしまっているのではないかと
批評は何も言葉に限らない、態度や心構えに孕まれる批評性だってあるし、運動に孕まれる批評性もある。それを言葉にする行為だけが批評というわけではない、そう思います。
ココロ社さんに聞きたいのは、なぜそこまで〈凡庸か否か〉にこだわるのかということです。
http://d.hatena.ne.jp/crossage/20040514#1084470346
hentai
ココロ社さんは娘。を<悪い>と思っているのではなく<わからない>だけだ、という一番最初の更新時点で想像しうる前提を元に考えれば、単純に、人間を趣味によってカテゴライズする行為に見えました
娘が<わからない>というより、娘。は<悪い(=批評的問題点がある)>というものになってきたように思います。つまり、娘。やSMAPに批評性がない・凡庸だということまで言うなら、それは、単なる<わからない>という表明だけではとどまらない、批判となってしまうと思います。
この議論に関して一番わたしが問題だと感じたのは、娘。と金井の共存よりも、その背後に隠れていた<嫌い>が<批評>と連関してしまうことに関することでした。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040512#c
反応してくれる人は「モーニング娘は凡庸だ。でも、それを含めて好きなんだ」という話が返ってくるのではなかろうかと踏んでいました。それは残念ながら、ぼくの妄想にすぎなかったようですが、「モーニング娘は非凡である」あるいは「凡庸とかそういう
言語でくくることができない存在」という認識の方が近いとするならば、ぼくにとってはやっぱり不思議です
歌詞(『愛あらばIt's Allright』)についてあれやこれや言ったことはごくごく一部の問題なのかもしれませんが、ぼくはその後に入る気になかなかなれませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040514#p1
twisted
ぼくが『I WISH』を凡庸だと断じるのは、その先に『、、、好きだよ』や『恋愛レボリューション21』みたいな、もっと擁護すべきものが後ろに控えている時だけです。
また「凡庸さ」というタームは、実はそうした「凡庸さ」をいかに愛するかという倒錯的かつ困難な批評にのみ奉仕する(略)宙吊りを肯定する快楽に由来するものだと思います。
モーニング娘。とはどこが面白いのか? という疑問符の答えは、ココロ社さんが提起されたその問題の発生条件からすでに決定されてしまっているものではないでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040514#c
これは言っておきたいのですが、ハロプロの歌詞はつんくが考えてるから、それだけ取ったら薄っぺらいに決まってます。
http://d.hatena.ne.jp/nomurajizang/20040514#1084548663
ココロ社さんが娘。が文学的、音楽的にすぐれているかどうか、ということに議論をもっていこうとしているのは、意味がない方向だと思う。全然そんなことは論点じゃないと思う。単に凡庸かどうかを議論したって意味がない。そうじゃなくて、対立する質があるかどうか、が問題で、そして、何を持って、その対立する質だとみなしているか、ということです。
http://d.hatena.ne.jp/jouno/20040513#1084469588
5日目 (5月15日)
むしろ、こういう議論が巻き起こること自体がうらやましいなぁなんて思います。僕はモー娘。が登場する以前からのアイドルマニアですが、本当にモー娘。がうらやましい。だって、ハロプロ以外のアイドルが束になっても、知名度とかファンの広がりという意味では叶わないんじゃないかなんて思っているからです。
moegi
ココロ社さんがんばれ〜匿名で書いて悦に入ってる2ちゃんの輩なんて放っておこうよ!って思います。ていうか結局モーヲタが予想以上?に生息してるってことだよね...。こんなこと言うと権威主義とかまた糾弾されちゃうのかなと思うけどあえて一言で言うならば「文化が成熟していないんだよ」とわたくしは思います。なんでこうロリコンばっかなんだろう...ため息という感じです。以上、おばさんのディスクールでした。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040515#c
世のモーヲタが全員ロリコンだと思わないでくださいね。ちなみに彼はモーニング娘。に、男性には経験できない、姉妹性や桜の園的な女子校っぽい魅力を感じて、そこが好きみたいです。モーヲタが全員性的な視線でモーニング娘。を見ているわけじゃないのです。わたしは単純に楽曲が好きです。
http://d.hatena.ne.jp/ako-girlholic/20040515#p1
大勢の人間に愛されているものの良さがわからない時に「きっと自分にはわからない良さがあるんだろうなぁ」と思う人と「アイツらはたいしたことないものをありがたがっているだけだ」と思う人に分かれると思うわけ。そんで、そういう意識ってのは、どう言いつくろっても臭ってきちゃうんだよね。
「言語の過剰付与」なんて話も出てたけど、そんなのはネット上だけの傍流に過ぎないでしょ。少なくともコンサートの現場にゃあんまし言語は存在しないよね。結局モーサイトの本流ってのはマジヲタ的なもので、ニッキモニ的なものはそこで生まれたアブクみたいなもんに過ぎないんだと思いますよ
あと、つまり自分がそんなに心動かされないものが絶大な影響力を自分のフィールドに重なるところで持ってることへの反感とか疑問てことじゃないんですかね・・・。それが、モー娘。だと何故か、例えばリアルでは、すごい言いやすい状況だからこそ、ネット上(テキストサイト界隈?(笑)では言いにくい現象が当然のように起きてて、ココロ社さんは敢えて、それに果敢に・・挑戦してみた・・モーニング娘。のファンです。でいいはずなのに「モーオタ」って自虐的にゆっちゃう人達の神経を逆撫でした・・みたいな感じ。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040515#c
twisted
ロリコンとかおばさんとかいった、文系男子とかとほぼ同じような差別的カテゴライズを弄して、まるでそこにありもしない対立があるかのように煽るようなことは控えていただきたい。(ただし、ぼくが使う「モーヲタ」というカテゴライズは自虐的ではありますが、同時に愛をもって、自らの誇りをもって使用します。そして、この領土は開かれています。
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/comment?date=20040515#c
他にも、リンクを貼らずに注目すべき意見を書いている人や、人のコメント欄ですごいこと書いている人、mixiで重要なことを書いてる人などもいるんですが、その辺は扱いが難しいので暫定アップ。
他にもこんなのがある、順序がおかしい、などのご意見があったらお寄せください。